糸魚川市の場合の復興計画(H29.6月現在)
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新潟)復興計画 にぎわい創出は難題
増田洋一2017年6月22日03時00分
糸魚川市の大規模火災から22日で半年。市は8月下旬の公表を目標に復興まちづくり計画の策定を進めている。まちは大火前とどう変わるのか。現段階の内容をまとめた。
計画は大規模な区画整理事業などをせず、これまでの市街地形態を継承する「修復型のまちづくり」を基本とする。まちの歴史を生かすとともに、早期の生活・事業再建を可能にするためだ。
方針は3本柱で、第1は「災害に強いまち」。市は、市道の幅を6メートルに広げる▽ポンプ車で海水を吸い上げて地下埋設管で防火水槽に送るシステムをつくる▽建物の不燃化を財政支援し、本町通りを延焼遮断帯にすることを考えている。
被災地は1960年に準防火地域に指定されていた。しかし、32年12月21日の大火直後に建てられた木造家屋が密集しており、防火性能などが現行法の基準を満たさない建物が多かった。今後新築・改築される建物は現行基準を満たさねばならないので、被災地全体の防火性は被災前よりも向上する。
次の方針「にぎわいのあるまち」は、ハードルが高そうだ。被災地では65歳以上の割合が約50%に達し、高齢化や後継者難などで空き店舗が増えていた。ある市民は「本町通りの被災地は大火の前から『シャッター通り』で、人が少なかった。にぎわいを取り戻すのは難しい」と話す。
市は加賀の井酒造の東に、大火の記憶を伝える展示や子育て相談窓口を備えた「防災・にぎわいの拠点施設」設置を検討。同酒造と割烹(かっぽう)鶴来家(つるぎや)の再建を支援し、人を呼び込む「にぎわいのトライアングル」として期待する。ただ、集客効果を疑問視する声は少なくない。
市は、北越銀行の西に、広場と一体となった商業施設をつくったり、防火性能を高めた雁木(がんぎ)を再生したりすることも検討している。
三つ目の方針は「住み続けられるまち」。市は第四銀行支店の北西に、医療や福祉施設、子育て支援施設と連携した市営共同住宅を設けることを考えている。再建を断念した被災者や、市外を含む被災地外からの移住者の受け入れが狙い。火元のラーメン店の跡地付近でも共同住宅・店舗の建設を検討している。
被災地では、7月から建物の基礎部分の撤去が始まる。ブロック(街区)によっては9月から敷地の再編や住宅・店舗の再建が始まる見込みだ。(増田洋一)
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大火半年、それぞれの決断 糸魚川の被災者、土地売却や店再興
2017年6月22日05時00分
新潟県糸魚川市の大規模火災から22日で半年。147棟が焼けた被災地は、建物の基礎部分だけがむき出しで残っている。市が復興計画策定を進めるなか、住み慣れた街を去る人もいれば、この場所で生活を取り戻したいと願う人もいる。
「ご先祖様からの土地をなくさないよう、市の計画に反対すべきか。それともよそに移るべきか」
自宅が全焼した井合(いあい)作蔵さん(89)は悩んだ末、市に土地を売ることにした。
自宅は本町通りの商店街にあった。富山県から初代が移り住み、自身で5代目。紳士服販売業を営んでいたが、25年前に閉じた。市は商店街を再興し、昔のにぎわいを取り戻す方針だが、井合家に商売を再開する人はいない。土地は「商売をやる気がある若い人にわけてあげたい」。長女と2人で暮らす郊外の借家近くに自宅を新築し始めた。
戻ろうとする人もいる。スポーツ用品店兼自宅が全焼した中島徹さん(56)は、1月に郊外の仮店舗で営業を再開した。「早く元の場所に戻って営業したい」
昨年12月22日に発生した大火では260人が被災した。市の調査では、住宅や店舗を再建する意向の被災者は6割強。市は8月中に復興計画を公表し、早ければ9月から建物の再建が可能になる。
(増田洋一)
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糸魚川市(被災H28.12.22)の場合の復興計画(H29.6月現在)「修復型のまちづくり」を基本
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